言いにくく 疑問なこと(家族介護者の性欲減退①)
言いにくいことではある。一般的なことは言えない。
が、家族介護者の性欲は減退しやすいかもしれない、
そういう疑問を持った。
私自身が、高齢の母を介護する家族介護者。
性欲はゼロではないが、かなり減退したという実感があり、
介護と性欲減退の因果関係も考える。
「その暇がない」
「その気がなくなった」
というような介護者のツイートは、見たことがある。
私個人の問題ではないのかもしれない。
そういえば、介護が始まる前から、
金銭的な問題で、夜の遊びには行っていない。
人間的な問題で、長い間パートナーがいない。
そして、介護が始まって以降、
なけなしの性欲での、自慰行為も無くなった。
年齢もあるけれど完全にしなくなった。
なんというか、その気が起きない。
いつ母からの呼び出しがあるかわからないので、
それどころではない、ということもある。
疲れるからムリ、というのもある。
やっぱり、気分じゃないから、というのが大きい。
そのための行動を起こそう、なんて気がしない 。
「おじさんだから」、ということなのか。
男性更年期障害なのだろうか。
自分の場合は、そうかもしれない。
しかし、若い世代の介護を担っている人が、
その気や気分を無くしていたら問題ではないか。
私個人の問題なら、病院なりカウンセラーに頼ればいい。
しかし、”介護者”の声が大きいとは言えない今の社会では、
そういう悩みも、誰の目にもとまらないままに、搔き消えてしまう。
性欲減退の原因が、介護ならば、
介護者支援に含まれなければならないが、
そのような資料を検索しても見つけられなかった。
すでに、研究されているかもしれない。
まだ、表には出てきていない可能性もある。
今のところ、被介護者の性欲に関するものが、
ようやく一般的になってきた、という印象だ。
資料はなく、研究も進んでいるか不明。
私個人の、想像するところでしかない。
しかし、性欲も介護者について語っていく上で、
避けては通れない事柄のように思える。
介護者に限らずとも、
人間の三大欲求である性欲は、
その人の人生に関わる、大切な欲求である。
人類文明がここまで発展したことにも、
少なからず、性欲の影響はあるはずだ。
例えば、文化というものは、
多くの欲がせめぎあって形作られた側面を持つ。
小説、演劇、音楽などでは、性欲を昇華した名作があり、
現代では、割とストレートに表現したものもある。
そういった作品にとどまらず、
ありとあらゆる生活の一端にまで、文化は染みついている。
人の目に触れ、音を奏で、周りを取り囲むものが、
性欲を肯定し取り込んでいる。
「性欲を無くす」ことの意味はとても重い。
自己肯定感の低い状態ならば、
圧し潰されかねないものではないだろうか。
社会における、他者との関りにも影響はある。
性欲があることが”普通”とされる場において、
それが無いことは ”普通ではない”、
”関わりにくい”、とされてしまう危険をはらんでいる。
フィクションの世界でも、
性欲が刺激されるようなものが多い。
経済の大きな部分を担うのが、性欲なのだろう。
デジタル機器の発展にアダルトコンテンツが寄与した、
という説もあるくらいだ 。
詮索すべきことではない、が、
若い世代の家族介護者のことが、気にかかる。
彼らの将来に関わってくる話になる。
介護が原因の問題を抱えて苦しむ若者は、
出来るだけ、少ない方がいいと思っている。
介護を起因とする性欲の減退はあるのか、
はっきりとしたことは言えない。
しかし、追求すべきだと考える。
少子高齢化対策という目線ではなく、
人間らしい、尊厳、の視点で、
介護者の性欲は、語られていかなければならない。
在宅介護が激増するようだ。
つまり、家族介護者は今より多くなる。
マスメディアによる、情報の単純化によって、
「家族介護者は~」と一括りにまとめられ、
こういった問題は、見えにくくなる可能性が高い。
このセンシティブな疑問は、
慎重に扱っていく必要があるものだが、
介護者の一人として、少しづつ掘り進めていくべきと思っている。