KNBBLOGのブログ

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文章を書くのって難しい

 久々にブログを書いてみてつくづく実感するが

文章を書くのって難しい

 

 何が難しいのかというと

「いい文章が書けない」

「書いて良かったと思えない」

「納得できる文章ができていない」

 

 つまり 

「自分の文章ってヘタクソだ」

ということだ

 

 

 

 

 そもそも 1年近く放置したブログを再開するに至ったのは 

とある「文章を書くことついての本」に出会ったから

  

 その本が 面白い

 文章を書くことを職業にしている人が

手の内を見せてくれるのだ

それどころか 頭の中

作業中の思考 考え方を披露されている

 

 読んでみて

とても 腑に落ちたような 身に染みわたったような

なんだか 文章のイロハが身についたような気がして

無性に文章が書きたくなる

そんな魅力あふれる1冊だった

(その本は紹介できない

 この程度の文章力しか引き出せないと勘違いして欲しくないから)

 

 その気になっているうちに 

ひとつ文章に向き合おうかと

放置していたこのブログを 叩き起こしてみた次第である

 

 

 

 

 

 

 しかし やっぱり ヘタクソだ

 

 書いている途中は楽しんでいた

文章を考え 作るのは 面白い 

 

 でも 読み返す気にならない というか

投稿後に 読み返すのが ツライ

 

 気恥ずかしい

「この文章を読んでどう思われるか」が頭を巡る

誰かの呆れたような声が聞こえてくる

 

 できたての黒歴史をご賞味いただくシェフになる

「味見した?」

「これ何? 料理?」と聞かれても

押し黙ったまま 俯いてしまう

お客様の顔なんて もう見れない

 

 

 

 

 

 

 

 今までなら

そこで「や~めた」となっていたが

先の素晴らしい本は

自分をその先の未知の世界に誘いかけてくる

 

 

 

 そもそも 

楽しく書いていたものが

なぜ ヘタクソに見えるのか

 

 

 

文章を書くことは

思ったことなどを

文字として

頭の外に出すことである

 

文章にした途端

「私の想い」は「文字という別次元のものに翻訳される」

紙なり パソコンなり スマホなり 

の上に移っていって 私から離れてしまう

インフルエンサーがよく言う「アウトプット」のカタチのひとつだ)

 

 私から離れた その文章を読むのは誰だろう

一番確率が高いのが 私

 

「書いた自分」とは別の

「読む自分」がいる

 

楽しく書いていたのとは違う 自分

いうなれば批評家の自分だ

 

 こいつが本当に嫌な奴で

せっかく書いたものを

「つまらない」

「読む気が起きない」

「呆れる」

「ほかの人が読んだら怒っちゃうなぁ

時間返せとか言われるよなぁ」

などとクレームをつけてくる

 

ネチネチと

厭味ったらしく

いつまでも

 

仕舞いには

「ヘタクソ」の烙印まで押してくれる

 

 

 

 楽しく書いていた自分はどうだろうか

実はこいつも 批評家に負けず劣らず 厄介

 

 文句を言われると 

すぐにふてくされる

すねる 

いじける 

イヤになっちゃう

 

反省しようとか

次はちゃんとしようとか

なかなか思わない

 

「どうせ いくら頑張っても ダメだ」とばかりにサボりだす

 

 次に文章を書く時も

批評家に言われたことを直視せずに

「上手くやろう」としだす

 

 どこかから拝借した綺麗な文章を

無理やり入れ込んだりして できたつもりになる

 

 当然 文章はグチャグチャだ

 

そうすると あの批評家が また・・・

 

 

 

 

 

 彼らの いつもの この困った馴れあいは

どうすればいいだろうか

 

 

それはことのほか簡単だった

文章にすればよかった

 

ヘタクソな文章を書く自分と

嫌味な批評家の自分の関係性を

文章にして

客観視すればいいのだ

(今ちょっと楽になった自分がいる)

 

 そうすることで

何ができていて

何ができていないのか

何をすれば ここを乗り越えられるのか

考えることもできてくる

 

 

 

 文章を書くのって難しい と思う自分がいる

だが 

文章を書くのって楽しい と思う自分だってここにいる

 

嫌味なアイツもここにいるし

できてないことが山のようだけどさ・・・